コタ 妊娠中・誕生〜NICU搬送まで
 ■ 妊娠中 ■


 妊娠が発覚してからすぐに少量の出血。すぐに受診したところ“切迫流産”と診断され
 安静命令が出ました。実家に連れ戻され10日ほどの寝たきり生活。
 その後エコーで心拍が確認され無事乗り切りました。
    
 それから出産までの間は至って順調そのもので、途中自分たちの結婚式があったり
 引越しがあったり、新婚旅行に自家用車で北海道1周旅行へ行ったり、産休に入るまで
 仕事をしていたりしたけれど、周りが心配するほどの元気っぷり。
 しいて気になったことをあげれば、骨盤位(逆子)だったぐらいかな。
    


 ■ 誕生〜NICU搬送 ■


 骨盤位のため、38週と4日で帝王切開にて出産。
 産後すぐに肺の中の羊水を吸引されて泣き声が聞こえたものの、元気はなく
 子猫の鳴き声のようでした。ドラマで見るような元気な産声じゃなかったので
 とても心配したのを覚えています。
 結局APSが8点(カラー、呼吸それぞれマイナス1)だったと記録されています。

 翌日には顔色もよくなり元気にしていると看護師さんに聞き一安心。
 産後コタの顔を見ていないので、とても心配で心配で早く元気な姿が見たくて
 動いてもいいと許可が出てすぐに、1階下の新生児室へ行きました。
 その後母子同室になるものの、どうしても産後の元気のない様子が脳裏から離れず
 常に何とも言い切れない不安が残っていて、夜もコタがちゃんと呼吸をしているか
 苦しがっていないかしょっちゅう確認していました。
 また、ミルクを飲むのが下手で、直接母乳をあげても哺乳瓶であげても上手に飲めず
 私の抱き方や与え方が下手なのかな〜なんて思ってたのですが、その後もずっと
 卒乳するまで飲むのは下手なままでした。
 
 生後3日目に小児科医の受診があり、そこで初めて先天性内反足と診断されました。
 早めに治療・手術をしないと将来的に歩行困難になる可能性があると言われ
 辛い思いをさせるであろう将来を思いコタに申し訳なく思って、涙が止まりませんでした。
 そして生後5日目に、こたぱぱと一緒に先生に呼ばれて血液検査の結果チアノーゼが
 見られるので、NICUのある総合病院へ搬送しますと説明がありました。
 
 その後、GCUのクベースに入れられて酸素投与が続きました。いくつも管が通っている
 コタの姿を見て、また涙が止まらなくなりました。
 どうして私の子供が産まれてすぐこんな辛い思いしているの?
 妊娠中にした何かがいけなかったの?ずっと自分を責め続けました。
 入院中、無呼吸発作を起こしその原因を調べるためMRI検査もしました。
 まだ小さいコタに次から次へと起こる問題。毎日面会に行って先生や看護師さんに
 会うのが怖い日々が続きました。「今日も何か新たな問題が起きてるかも…」と。
 結局、呼吸が安定するにつれて無呼吸発作やチアノーゼは改善されて一安心。
 退院の話も出始めた矢先、次は心雑音があるので検査すると言われました。
 検査の結果、動脈管開存症と診断されました。
 結局、動脈管開存症はカテーテルで簡単に治療ができるうえに、今はまだ
 急を要する状態ではないのでカテーテル治療に耐え得る年齢(1歳以上)になるまで
 毎月の経過観察となり、生後初めてのクリスマスを目前に退院できることになりました。